昨日の記事の中で、
娘は発達障害だけど、こだわりもそこまで強くないし、不安も弱いタイプで情緒も安定しているし、食欲旺盛だし、机に座ってられるし、他害もないし・・・できていること、問題がない面も多いんですよ。
と、書いたんですけどね。
こんな風に書くと、コミュニケーション以外では全然問題ない子みたいだなと思って(^^;)
多分、そうではないと思うのでちょっと訂正。
私から見た娘と、他者から見た娘。
私から見た娘というのは、それなりにできる子!なんですね。笑
ブログではちょこちょこ書いていますが、今でもたまに、
「私は、娘が普通級でやれたかもしれないのに、支援級に入れた、ひどい親なのでは!?」
という思考に陥ることがあります。汗
私は、子どもの可能性を奪った、毒親なのでは、、!?と。
私的には、年長後半の急成長が、想定外だったんですよね…。
で、そんな風に思っているので、「うちの子は問題ない面も多いです。」みたいな書き方をしてしまいます。
でも、ふと思ったんです。
あれ、もしかして、
「娘は普通級でやれたかもしれないのに支援級に入れられて可哀想」
という見方をしている第三者は誰もいなくて、
多くの第三者は
「娘さんは支援級スタートが良いと思うよ」
「それで良かったと思うよ」
と思っているかもしれない!?!?
親である私から見た娘と、冷静な第三者が見た娘というのは、全く別ものなのかもしれない。
と!
保育園の先生からも、娘ができていないことを1から100まで全て教えてもらっているわけではないですしね。
毎日、できていないことを細かく報告されていたら、それこそ私、鬱病になりますわ。。
楽器演奏とかも娘には難しいらしく、
「楽しんでる姿を見ていただければ〜」
と先生はおっしゃっていました。
それを聞いて、私が思っている以上に、できていないこともあるのかな?と感じました。
それに、保育園でもたまにパニック起こして泣いているみたいだし。
友達に責められたり、自分の思い通りにならなかったりしたときに。
たまーに・・・なんですよ。
でも、その「たまーに」が問題なんですね。。
園生活の中でも、お友達に助けてもらったりしている場面も、私が思っている以上に、多いのだと思います。
親は、子どものできている面、成長している面に着目して、「うちの子はできるんだ!」と期待を持ってしまいます。
でも、第三者はもっと、冷静にその子どもを見ています。
冷静な第三者が、
「娘さんには支援があった方が良いと思うよ」
という見方をするのは、自然な気もします。
私はひどい親なのか!?
分かりませんが、そういう面もあると思います。涙
ただ、私から見た娘と他者から見た娘は、全く違うのかもしれないという視点は持っておく必要があるのかなと感じました。
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