暗い振り返りの記事をいくつか書いてきたのですが、結局、障害受容の話なのかなと感じました。
障害を受け入れられず、我が子が普通っぽくなることを期待していたから、療育先のママさんと仲良くなれなかった。
結局は、障害受容が上手くできていなかったって話になるのかな?と。
障害受容とは
以下、下記の総合リハビリ美保野病院のサイトからの抜粋です。(知っている方はこの部分はとばして下さい。)
障害受容とは
「障害を直視し、障害に立ち向かい、障害とともに生きることも自己の生き方の一つである受け止め、生活していくことである」
【障害受容の5段階】
①ショック期:自分自身に何が起こったか理解できない状態。
→しかし、この時期は長くは続かず少しずつ現実を認識できるようになります。
②否認期:自分の障害から、目を背けて認めようとしない時期。
③混乱期:「怒り」・「悲しみ」・「抑うつ」などが現れる時期。
④解決への努力期:様々な事をきっかけにし、病気や障害に負けずに生きようと努力する時期。
⑤受容期:自分の障害をポジティブに前向きに捉えられるようになる時期。
私のこれまで
私の場合、3歳半で娘が自閉症スペクトラムと軽度知的障害の診断を受けたときは、本当に絶望し、「子どもを産まなければ良かった」と考えたりしていました。
当時は息子の産後まもない時期で、メンタルの落ち込みが激しく大変でした~。
この時期が、①のショック期なのかな。2歳児クラスの頃。
でも、数カ月経つと、「子どもを産まなければ良かった」とまでは思わなくなったんですね。まぁそこそこ現実を受け入れられるようになった、というか。
それでそのときは、「あー私はもう障害受容ができたんだ!」って思ったんです。
でも実際は、全然できていなくて・・・
暗ーーーーーーい顔で保育園にお迎えをする日々が続きました。
他の子と比べたり、何かがキッカケで気が滅入り、メンタルの調子が落ちるということも度々ありました。
そして、子どもの障害のことを考えすぎると精神的にしんどかったので、別のことに目を向けたりして、あんまり考えないようにして乗り切っていたように思います。
これは、②の否定期なのかな?③の混乱期でもある気がするけど。
年少とか、年中の頃ですかね。
その後、年中の終わり頃に、保育園の先生から支援級を勧められて、疲れ切っていた私は「支援級にしよう!」と決意します。(←ここで決めるのは間違ってるんですけどね、まぁそれはまた別の話で)
そこからね、すごく明るくなったんですよ、私!
私は子どもを支援級に入れることを受け入れた!私は今度こそ障害受容ができたんだ!
って思いましたよね。
でも、これが実は表面的な障害受容で・・・
心の深いところで受容できていたわけでなく、浅いところで受容した気になっていた・・・みたいな状況だったんですよ、今思えば。
そしてその後、やっかいなことに「本当に支援級で良かったんだろうか?」「子どもの可能性を奪ってしまったのではないか?」という考えが出てきてしまい、またメンタルが落ちてしまったのでした。
最近はメンタル持ち直し気味ですが、まだすごく元気ってほどでもないですね。
メンタルが落ちるってことは、やっぱりまだちゃんと受容できていないんだろうなって。
「子どもの可能性」って、この期に及んで子どもに何を期待しているんでしょうかね、私は。
いったいあと何回メンタルが落ちれば、受容できるんだろう?って考えてしまいます。
(それとも、障害受容とメンタルの落ち込みは別次元のもので、障害受容していても、他の子と我が子を比べてメンタルが落ちることは避けられない・・・とか!?!?)
本やネットで
「軽度の子の親ほど、子どもの障害を受け入れられない。」
「軽度の子の親ほど、暗い顔をしている。」
といった話を何度か読みました。
それ、私だ~!っていつも思います。
軽度とは言っても、自閉症×知的ボーダーなので全然軽くないっていうのは分かってるんですけどね。
知的に正常じゃないという部分がやっぱり重たいです。
でも、療育手帳は取れないし、諦めようにも完全には諦めきれないというか。
しんどいよね~って思っています。
でも、今、このブログを始めて、前向きに頑張っていこう!と思っているので、何とか④解決への努力期 ⑤受容期 に向かっていけたら良いなぁと思います。
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