先日、国語の学習目標をグンと下げることにした件について書きました。
当たり前に、みんなと同じように国語の学習を進めること。
また1つ、「当たり前」を手放しました。
いや、厳密に言うと、「当たり前だと思っていたこと」、ですが。
でも、ショックとかはないですね。
支援級を選択した時点で、覚悟はできていたことですし。。
ここ数カ月の状況を踏まえても、分かってはいたから…。
でも、3・4年前の自分は、受け入れることができなかっただろうな。
当たり前に普通のクラスに入って、
当たり前に普通の高校に進学して、
大学に進学して、
当たり前に家を出て、
当たり前に就職して…
当時はたくさん期待していたから、子どもに。
勝手に夢を見ていた。
本当に、勝手ですよね~。
だからこそ、診断を受けたときは、絶望が大きく、なかなか現実を受け入れることができなかった…。
でもそこから、気持ちの整理をしながら、1つ1つ、「当たり前(と思っていたこと)」を手放していきました。
これから手放すことも、まだあるのかもしれない。
でも、私の場合、「当たり前(と思っていたこと)」を手放した先にあるのは、絶望でもなく不幸でもなく‥
このままで良いんだ・・・!
という安心感だったりするんですよね。
だから、支援級を選択しようと決めてからメンタルが激的に良くなったのです(^^)
今でもたまに別のスイッチが入ってメンタル落ちることがあるけど(ほんと騒いですみません(^^;))、基本的には、幸せだな~と感じています。
今も、国語をそんなに頑張らなくて良いのかも!?と思うと、だいぶ気持ちが楽になりました。
娘も、苦痛を感じる学習を強いられなくなったことで、楽になったと思います。
自分の中の「当たり前」を手放すことは、生きづらさを手放すことなのかもしれません。
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